L稲尾和久告別式に1500名が別れを惜しむ
2007年 11月 30日
L稲尾和久の告別式に1500名が別れを惜しむ
11月13日早朝急逝された、L稲尾和久の告別式が、11月22日福岡市内の斎場にて行われ、理事長のご家族・友人・知人・フアン1500名が列席別れを惜しみました。
野球人としてだけではなく、ライオンズクラブや少年野球の育成、身障者のスポーツを通じての社会参加支援など、地域社会に貢献されておられました。
当クラブのチャーターメンバーとして、設立記念式典では、記念講演をしていただき、時間を作っては例会にも積極的に出席され、多くのライオンに親しまれておりました。
また、「障害者の日」街頭啓発活動や献血活動にも参加されるなど、多忙の中をメンバーと一緒に出席されて活躍されていました。
本クラブが毎年、支援参加している日韓親善障害者のソフトボール大会には、稲尾杯名称使用を快諾されL稲尾の協力の下に、1991年に第1回稲尾杯身体障害者ソフトボール大会は開催され、障害者のプレー(努力に姿)に感動されたL稲尾は、「この大会は続けていこうよ」と参加者たちとも快く歓談、優しい稲尾さんでした。
早いもので、本年11月11日第17回大会を鹿児島市桜島溶岩グランドで開催致されました。
大会には、韓国釜山市チームを招き、当クラブより大型バス(福岡・鹿児島間1泊2日)を提供、Cソフトボール同好会も参加しゲームを楽しみました。
告別式には多くのLと鹿児島や長崎から参加チームの仲間も列席し別れを惜しみました。
L稲尾の障害者のスポーツ交流に対する熱い応援の証としてこの稲尾杯は続けさせてください、続けて行きます。
どうぞ、見守ってください
L稲尾和久ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
IT委員 貴島純孝
11月13日早朝急逝された、L稲尾和久の告別式が、11月22日福岡市内の斎場にて行われ、理事長のご家族・友人・知人・フアン1500名が列席別れを惜しみました。
野球人としてだけではなく、ライオンズクラブや少年野球の育成、身障者のスポーツを通じての社会参加支援など、地域社会に貢献されておられました。
当クラブのチャーターメンバーとして、設立記念式典では、記念講演をしていただき、時間を作っては例会にも積極的に出席され、多くのライオンに親しまれておりました。
また、「障害者の日」街頭啓発活動や献血活動にも参加されるなど、多忙の中をメンバーと一緒に出席されて活躍されていました。
本クラブが毎年、支援参加している日韓親善障害者のソフトボール大会には、稲尾杯名称使用を快諾されL稲尾の協力の下に、1991年に第1回稲尾杯身体障害者ソフトボール大会は開催され、障害者のプレー(努力に姿)に感動されたL稲尾は、「この大会は続けていこうよ」と参加者たちとも快く歓談、優しい稲尾さんでした。
早いもので、本年11月11日第17回大会を鹿児島市桜島溶岩グランドで開催致されました。
大会には、韓国釜山市チームを招き、当クラブより大型バス(福岡・鹿児島間1泊2日)を提供、Cソフトボール同好会も参加しゲームを楽しみました。
告別式には多くのLと鹿児島や長崎から参加チームの仲間も列席し別れを惜しみました。
L稲尾の障害者のスポーツ交流に対する熱い応援の証としてこの稲尾杯は続けさせてください、続けて行きます。
どうぞ、見守ってください
L稲尾和久ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
IT委員 貴島純孝
by normarai | 2007-11-30 09:19